働くことでお金を貰うのは当然のことなのである。

ところが、こうした格差は一九四○年前後から急速に縮小する。その理由は先に述べたように、 大恐慌の教訓から、労働の歴代政府が経済活動をすべて市場に委ねるという古典派的な考え 方を捨て、政府自らマーケットに介入し、総需要管理政策や所得再分配政策を行なうようになっ フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策が労働経済を立て直らせるのに どの程度効力を発揮したかはともかく(第二次世界大戦勃発による軍需の拡大が恐慌状態のアメ リカ経済を救ったという見方が支配的であるが)、公的部門が景気安定化や所得再分配に積極的 な役割を果たすようになる傾向は第二次大戦の勃発によってさらに加速した。

 

 

この結果、二○ 世紀半ばには米国の産業のおよそ一五パーセントが政府による直接的な規制を受け、残る八五 パーセントの産業に対しても、ゆるやかな統制が行なわれるようになったという(ラィシュ前掲書 政府の介入が「豊かな労働」を作った 労働にもあった「日本型経営」 さらにいえば、戦後日本の経済発展を支えてきたのは、企業の内部で労使協調の精神があった ことや、あるいは終身雇用制によって労働者の地位が守られてきたおかげであると言われるわけ だが、実はこの時代の労働においても、それは同じであった。戦後労働の労使関係とい うと、効率優先の経営者と過激な労働組合の対立といった図式が頭に浮かぶわけだが、実はそう ではなかったというのがライシュやクルーグマンらの分析である。 たしかに一九世紀末から二○世紀初頭にかけて、労働の労働組合と企業は対立関係にあっ たのだが、その後、一九三五年に集団交渉を合法化するワグナー法が成立してからは、労働組合 が労働ではどんどん成長していった。

 

 

第二次大戦中には全米の組織労働者の数は一四○○万 戦後の日本経済は官僚統制による「護送船団方式」だとさんざん批判をされたわけだが、実は戦 後の労働経済の強さもまた護送船団にあったというわけである。 こうした政府による経済統制は、既存の大企業にとってはそれだけマーケットでの競争リスク が減ることを意味する。新規参入のライバルが現われないとなれば、安心して長いスパンで経営 かせん 戦略が立てられるわけだから、こうした統制は労働企業が寡占的な力を付けていくうえで大 きなプラスになった。 人にも達したというが、こうした労働組合の成長は企業にとってもむしろ歓迎すべき事態であっ なぜなら、組合によって労働者が団結するということは、企業にしてみれば労使交渉の窓口が 一本化することに他ならない。つまり、労使紛争が起きても話し合いで解決ができる余地が増え るのだから、経営者にとっても労働者の団結はありがたい話であった。 かくして労働においても日本と同じように、労使関係の蜜月状態が生まれるようになった。

 

 

大恐慌までは収奪一方だった大企業の経営者も、「ストライキで巨大な損失をするくらいならば、 さっさと組合に譲歩して賃上げしたほうが得策だ」と考えるようになったから、労働の産業 界では労使対立は次第に起こらなくなった。 それに加えて労働の経営者たちは、労働者の待遇を上げれば、それだけマーケットの購買 力も上がって最終的には企業の業績に好影響を与えるということを学んだ。かくして賃金上昇と 並んで、企業における福利厚生も充実するようになった。 我々は「常識」として、労働には日本のような国民皆保険の制度もないし、公的年金もない という話を聞いているわけだが、実はライシュによれば、一九五五年には中堅規模以上の企業の 四五パーセントが年金を提供し、七○パーセントが生命、損害、医療などの各保険を提供してい たという(ライシュ前掲害四六ページ)。ちなみに、米国企業の福利厚生費の総額が米国経済に占め る比率は、他の先進諸国の政府が公的社会保険に支払った金額の比率とほぼ等しかったという。