不労所得と経済学について

不労所得とはなんなのか?

指導教官の、重箱の隅をつつくような研究分野しか勉強させて もらえない「タコ部屋」の日本となんという違いだろう! 「労働かぶれ」になった私 』 37 第一章なぜ、私は「転向」したのか 「かぶれる」ということは、客観的に見る目、批判する力を失うということで、軽薄な行為であ ることには違いないが、他方、「絶対これがよい」と信じているわけだから学習の効率はよかった。 あがまい 「かぶれる」ことによって、対象物を崇め、疑いの心を持たずにただひたすら「吸収すること」に遇 しん 進することができたのだ。

 

 

さらに、私が労働経済学にかぶれることになった背景には、身をもって当時の労働の 「豊かさ」を体験したことも大きかった。先にも書いたが、日本から来た貧乏留学生にとってアメ リカ社会の持つ物質的豊かさと人々の精神的寛大さは、まるでユートピアではないかと錯覚する ほどのものであった。労働人のみならず、誰でもそうかもしれないが、自分が圧倒的に優位 に立っていると感じるときには、ひとは寛大になるものである。当時の労働人の日本人に接 する態度はそういう意味で大変寛大で余裕があった。 とはいえ、六○年代末から七○年代初頭にかけての労働社会は、豊かさと同時にさまざま な社会問題を抱えていたのも事実である。 泥沼化して久しいベトナム戦争、あるいは黒人公民権の問題などをめぐって「若者たちの反乱」 が起きていた。

 

戦争と労働

 

大学は日本と同様、ベトナム戦争反対を軸とする学園紛争のさなかにあった。キャ かっぽ ンパスにはヒッピースタイルの学生たちが閼歩し、ボブ・ディランの「風に吹かれて」やジヨーン・ バエズの反戦歌が大はやりだった。 リッシュメントはこういった学生たちの反乱に眉をひそめていたが)。ときとして学生たちの無 軌道な行動はあっても、社会全体として見たときにそこに「暗さ」を感じなかった大きな理由の一 つは、何と言っても豊かで健全な価値観を持つ中流層が、労働社会の中核に大きな存在感を 持って鎮座していたからであろう。 このころの労働のサラリーマンの典型的な生活というと、どんなに仕事が忙しくても夕方 五時には会社を出て、まっすぐ郊外の広い家に帰る。そして夕食まではスプリンクラーの水しぶ きがまばゆい庭でガーデニングに時間を費やす。

 

 

夫人は皿洗い機がある最新の台所で楽しげに夕 食の準備をしている。小さな子どもたちがその周りではしゃぎまわり、ふかふかの絨毯の上で は大型犬が寝そべってそれを眺めている。夜はみんなでテレビを見ながらゆったりと過ごす。そ して、週末ともなれば、家族一緒にドライブやバーベキューを楽しみ、コミュニティの行事や教 会での行事に参加するIこうした生活ぶりは、単に物質的に豊かであるというだけではなく、 家族や地域社会を大切にするという健全で明るい精神に満ちているように見えた。

 

 

このような労働の状況を見るにつけ、やはりハーバードで学んだ労働流経済学こそが 正しいと、若い私が感じるようになったのは無理もない。労働で暮らす私から見る日本は、 系列や終身雇用をはじめ、政・官・業の鉄のトライアングルなど、既得権益のネットワークによっ てがんじがらめにされた閉鎖的社会であり、労働経済学が何よりも重視する市場原理がぜん ぜん機能していない「前近代的社会」に見えたのであった。 そして、日本もアメリ力のように自由な経済活動が行なわれ、マーケット・メカニズムが機能 する社会に生まれ変われば、労働人のように豊かで幸福になれるはずだとナイーブにも思い こんだのであった。かくして、ここに市場主義経済学に心酔する急進的「改革派」が一人製造され ることになったというわけである。 これが私が労働にかぶれ、急進的「改革派」になっていった経緯である。

 

アメリカと不労所得の関係性

 

しかし、私のよう な「労働かぶれ」は、戦後、フルブライト制度によって渡米した多くの日本人留学生がさまざ たど まな分野で辿った道と共通していると思う。 労働にとってみれば、世界中の若い学生や知識人に留学資金を提供することで「労働 ぴいき」を増やすことは、長い目で見れば、自国の安全保障につながるという冷徹な計算があっ たのであって、多くの若き労働留学経験者が労働ぴいきになっていったのはある意味、 致し方ないことでもあった。 しかし、実は当時、労働経済学で主流を占めていたのは、けっして今のような市場原理主 義的な考え方ではなく、ノーベル賞経済学者のサミュエルソン教授らが中心となって提唱してい た「新古典派総合」と呼ばれる考え方であった。 しかし、労働経済学はやがて、政府の市場介入を全面的に否定する、市場原理主義的な急 進的学派(「合理的期待形成学派」)に席巻されるようになり、それがレーガノミックスという形でア メリカ政府の経済政策をも大きく変えていくことになる。私の立場も、この市場原理肯定派に近 かったのは言うまでもない。 だが、ここで私が見逃していたのは次の二点であった。

 

 

すなわち、第一に、日本と労働では国の成り立ちも大きく異なり、労働流経済学をそ のまま日本に適用しても、それで日本人が幸せになれる保証などどこにもないという当たり前の 事実である、 実は自由な市場活動などではなく、「偉大な社会」建設を躯い、政府の役割を重視していた「新古 典派総合」に基づく経済政策であったということである。私はこうした現実を見過ごして、レー ガン政権以降に主流になる新自由主義こそが、昔から労働流経済の中心であったかのように 錯覚してしまった点である。 当時の労働社会が豊かで、健全な中流階層が存在しえたのは、実は、何も新自由主義的な 意味で市場原理が労働社会で貫徹していたからということではなく、むしろ、フランクリン・ ルーズベルト(FDR)によるニューディール政策や戦後のケインズ的政策、所得平等化のための 税制や社会福祉政策のおかげであった。

 

 

私は若き留学生として、その「大圧縮」によって誕生した豊かな中流層が中核となっている健全 な労働社会の中に飛び込んでいったことになる。 ところが、こうした労働の中流社会は、一九八一年に登場したレーガン政権によって決定 的な変質を起こすことになる。 事態はそうならず、ますます悪化の一途を辿った。 そこで勢いを増したのは、政府の景気安定化のための介入が必要と考えるケインズ経済学であ る。FDRはケインズ経済学を採り入れた積極的な経済政策を行なうことにした。これがかの有 名なニューディールであるが、その経済政策の流れが第二次大戦後まで続いたことによって、戦 後の労働社会は豊かな中流階層を産み出すことになったのである。

 

 

最近出版されたロバート。B・ライシュの「暴走する資本主義貴東洋経済新報社)や、二○○八年 ノーベル経済学賞に輝いたポール・クルーグマンの『格差はつくられた』(早川耆房)の中でも指摘さ れていることだが、第二次大戦終結の一九四五年から、オイルシヨック直後の一九七五年にかけ ての労働は、第二次世界大戦前に比べて圧倒的に所得格差が縮小した「大圧縮の時代」(クルー グマンの命名)だった。 他方、平均的な労働者の所得はどうなったか。クルーグマンはこの三○年間に、労働の「平 均所得」は上昇したが、「所得の中央値」(所得金額が多い順に並べてちょうど真ん中に位置する人の所得) は「わずかに上がったか、実質的には下落している」と述べている。 これはどういうことかといえば、ビル・ゲイッのようなスーパー・リッチの出現によって、所得 の平均値は底上げされたけれども、所得の中央値近辺の人々、要するに中流層の個人所得はこの 三○年間でほとんど変わっていないか、下手をすれば下がっているということなのである。 労働の中流層が我々の視界から消えてしまったように感じられる真の理由はこのあたりに に達するという。ちなみにレーガン登場以前においては、上位一パーセントの富裕層が占めてい た総所得は八パーセント、同じく○・一パーセントの超富裕層の総所得はわずか三パーセントだっ たのだから、格差社会もここに極まれり、である。

 

 

さらに、この三○年間の格差拡大については、労働の大企業トップの年俸金額の推移にも 明確に現われている。 クルーグマンの前掲耆によれば、一九七○年代、労働の代表的大企業一○二社の経営 トップの年俸は、それら企業で働く労働者の平均給与の「わずか!」四○倍であったが、それが 二○○○年には三六七倍にも達したという(クルーグマン前掲書、一○二ページ)。しかもこの間、 所得税の最高税率は大きく引き下げられている(一九五○年代末には最高税率九一パーセントまで上 がったが、現在では三五パーセント)から、手取りベースの所得格差は当時よりもはるかに大きくなっ ているはずである。 というのも、ビル・ゲイッやマイケル・デルのようなスーパー・リッチは、普通の人々の目につ くようなところに居を構えているわけではない。

 

 

ビルゲイスのような不労所得

 

 

何十万坪というような、川もあり、滝もあり、 丘もあるような広大な土地に大邸宅を建て豪華な生活をしていて、同じ労働にいても、庶民 とは隔絶した遠い世界に暮らしているからである。 そこまでいかなくても、最近では金持ちの多くは、一般庶民とはフェンスで隔絶された高級住 居地に住むことが多くなったらしい。こういった飛び地のような高級住宅地では、守衛によって 厳重に出入りがチェックされるようになっていて、彼らが一般庶民と融合する機会はほとんどな ある。 かっての労働における豊かさの象徴的存在として我々のイメージの中にある中流階級のう ち、一部はスーパー・リッチに首尾よく上り詰めることに成功したかもしれないが、大部分は低 所得層に吸収されていった。そのため、彼らの豊かな家庭は人の目につかなくなっていったので あるまい。

 

 

レーガノミックスによって、労働社会の中核的存在であった中流階層の存在感が失われて いったことがこれらのデータから読み取れるが、実は今のような格差社会が労働に生まれた のはこれが最初ではない。 大恐慌が起きる直前の一九二七年ごろのデータを見ると、所得上位一パーセントの人々の所得 シェアは何と二○パーセントにも達していたのである(蝿ページ図2)。戦前の労働は実は今 よりひどい格差社会(いわゆる「金ぴか時代」の労働)だったのである。

 

 

その結果、二○○九年以降の労働は共和党の 「個人の自由」優先の政策から、民主党の「公共の利益」優先の政策に転換していくものと思われる。 これは労働にとっての福音であろう。 さて、ふたたび私の経験談に話を戻すことを許していただこう。 一九七四年に帰国し、教壇に立つことになった私はハーバードで叩き込まれた近代経済学,中 でも「マーケット・メカニズムのすばらしさ」を学生たちに熱心に教え込もうとした。また、それ と同時に、日本がマーケットをいかに有効に活用していないか、日本がどれだけ規制と保護主義 に守られた「閉ざされた国」であり、政治面では「政・官・業」の鉄の三角形が社会をだめにしている かを説き、それゆえに、これからの日本経済発展のためには、構造改革と規制撤廃、市場開放が 不可避であると主張しつづけた。

 

アダムスミスが指摘する経済学

 

どんな点に「うさんくささ」を感じたのか。それは第一に、その前提があまりにも個人主義的で ある点ではなかったか。 たとえば、アダム・スミス以来の経済学では、人間を「ホモ・エコノミクス(経済人ごとして定義 する。すなわち、近代経済学に登場する人間は、自らの満足を最大化する目的を持って合理的に 行動する存在であり、「社会」という概念は入り込む余地がない。社会がどうあるべきかに関して は、マーケットが最適な資源配分を実現するという観点が提示されているのみであり、所得分配 や最適な公共財の供給などは投票によって決めればよいとしているのみである。どのような所得 分配が「正しい」とか、どの程度の公共財が供給されるべきか、どのような社会が人を幸せにする かなどといった主観が入り込む問題に関しては一切、価値判断をしないのである。

 

 

個人は社会とは独立したアトム的な存在であり、こうした利己的な経済人がそれぞれ自分の満 うであった。私は「近代経済学ほど論理が明快きわまりない学問はないのに、なぜ日本人学生は こんなに物分かりが悪いのだろう」といぶかった。 足や利益を最大限にすべくマーケットに参加することで、「見えざる手」が働いて資源の最適配分 が行なわれるというのが、近代経済学の基本テーゼなのである。 しかし、常識で考えればすぐ分かることだが、人間は何も自分の利益のためだけに生きている のではない。むしろ、人間にとってより重要なのは自分の行為が社会的に評価されるかどうかと いうことなのである。仲間を蹴散らして自分だけが金銭的に成功しても、そこから得られる満足 は、仲間とともに苦しみ、共通の目的のために奮闘し、その目的がかなえられた場合の満足に比 べれば、おそらくはそれほど大きなものではないであろう(もちろん、個人差はあるだろうが)。 過去の日本を見ても、江戸時代の武士は経済合理性などでは生きていなかった。「武士は食わ ねど高楊枝」とやせ我慢をし、それが心意気だと感じるのが武士道である。

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一九六四年の大統領選挙で「地すべり的勝利」を収めたジヨンソン大統領は、議会における民主党の圧倒的優位を背景に「偉大な社会」実現のための一連の社会改革立法を次々と成立させ、 ニューディール以来の画期的業績を上げたと評されている。 だが、対外的にはジヨンソン政権時代にはベトナム戦争がエスカレートし、戦費も急速に増大 した。高齢者医療補助制度(メディヶZなどの福祉政策の拡充もあって、労働の赤字財政は いよいよ深刻なものになっていった。その後、追い打ちをかけるように石油シヨックが起こった ため、インフレが激しくなる。その結果、一九七○年代後半に入ると「大きな政府」批判が徐々に ところが、そうはならなかった。 なぜならば、景気が良いのに、議員たちは「引き締め」どころか、有権者の歓心を買うために、誰もが喜ぶ公共事業や福祉政策を推進するための計画をぶち上 げたからである。

 

ケインズ経済学はそういった議員たちにとって格好の理論的支柱になった。 こうなると、ケインズ経済学が言うところの「景気の安定化」は機能せず、逆に景気過熱と公的 部門の肥大という副作用を労働経済にもたらすことになる。実際、労働経済は景気過熱 によるインフレと、巨大な財政赤字、さらには、公的部門の肥大という「先進国病」を抱えるよう どういうことかというと、ケインズ経済学は景気の安定化という仕事が政府の仕事であると主 張するのだが、それならば、景気の良いときには政府はむしろ介入しないで、様子を見るほうに 回らなければならないはずである。

 

ケインズの経済学と不労所得

 

景気が過熱してきたならば、逆に引き締め政策を採らなけれ になっていった。 それに伴って、一九七○年代後半の労働経済学界の主流は、ケインズ経済学や新古典派総 合から「小さな政府」「市場原理」「自己責任」を軸とするマネタリストや、合理的期待学派に変わっ マネタリストや合理的期待学派の考え方とは、一言で言って、ケインズ的な景気対策は役に立 たないばかりか、公的部門を肥大させ、経済のダイナミズムを喪失させるのでかえって有害だと いうものであった。この考え方は次第に有力となり、ついに一九八一年にレーガン政権が誕生すこうやって見ていけば、労働の歴史も循環を繰り返してきたことが分かる。 このように、少し長期的な視点で歴史を追いかけるとその流れはひじょうに単純明快であり、 自由放任政策の追求が労働社会を安定させ、「豊かな社会」を作り上げたわけではないことが 分かるのだが、近視眼的に世の中の動きを追っかけているだけでは、本当のところ、社会で何が 起こっているのかはなかなか正確に読み取れないものらしい。

 

しかし、最近の研究によって、労働の経済政策は三○年から四○年ごとの循環を繰り返し、 その中でも「適切な」政府介入が行なわれた時期に労働は真の意味での黄金時代を躯歌したの だということが確認できるようになった。 そういった循環論から言えば、労働における経済政策は、早晩、個人の自由を優先する新 自由主義から、所得格差や社会保障制度の拡充など、公共の利益により大きな配慮をする民主党 的な政策に移行していくことになるだろう。 実際、二○○八年十一月、労働は中堅層への減税による所得格差の是正を政策の柱に掲 げた民主党のオバマ氏を大統領に選出した。

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もちろん、こうした企業年金や保険の掛け金の多くは、実際には労働者が負担するわけなのだ この「労働ン・ドリーム」神話は今でも多くの人たちに信じられているが、それはビル・ゲイ ッやタィガー・ウッズのような大成功者がときどき輩出するからである。彼らのような華々しい 成功者の輩出が「ひょっとしたら自分もできるかもしれない」という夢を抱かせ、世界中から人々 人間は先入観に編される さて、こうやって見ていくと、私たちが抱いていた「労働は自由競争の国、自己責任の国 だから世界一豊かになったのだ」というイメージは、実は真実の半分しか語っていないことに気 がつく。というのも、経済活動を自由競争に委ねているだけでは格差拡大が進むなど、社会の安 定性が損なわれ、結果的に豊かな社会は作れないからであり、社会全体の「豊かさ」を作り出すた めには、政府の「適切な」介入が必要になるからである。

 

しかし、この点については、私が最近まで誤解していたのと同様、労働人自身も誤解して いると思われる。彼らの多くは、戦後労働経済が発展してきたのは、労働が自由の国で あり、誰にでも成功のチャンスがある「労働ン・ドリーム」の国であるという神話を信じてき たからである。 こうした年金や保険に対する企業からの補助は所得税ほど厳しく課税されなかった。だから 福利厚生の充実は、労働者にとっても得をする仕組みになっていた。 つまり、労働には公的社会保険はなかったけれども、企業が仲介に入る形での「間接的な 公的社会保険」が実質的に創出されていたというわけである。

 

 

しかし、圧倒的多数は敗北者となって、惨めな生活を強いられる結果に終わる。労働社会 がすごいのは、たとえ確率は小さくても、とてつもない成功者を輩出できることを見せ続けるこ とに成功しているということであろう。しかし、このような万に一つの「労働ン・ドリーム」 だけでは、労働を真に豊かな社会にすることはできない 先入観とは怖いものである。こうやって実際のデータを見ていけば、誰の目にも明らかなこと でも、「労働は自由の国」という固定観念をいったん持ってしまうと、専門家であっても「ア メリカは自由な国だからここまで発展したのだ」と信じ込んでしまい、事実が見えなくなってし まうのである。 しかし、彼らが誇る豊かさ、ことに戦後労働の豊かさとは、自由な経済活動の成果という 面に加えて、政府が積極的に経済に関与して、適切な社会福祉政策、適切な所得再分配政策を採っ てきたためであり、さらには、日本と同様に労使協調の精神が醸成されたからこそ、社会も安定 していたというわけなのである。 しかし、前にも書いたが、何ごとにもほどよいバランスというものがある。戦後、隆盛を誇っ たケインズ経済政策による政府介入が一九七○年代に入ってついに行き過ぎる事態が発生したの である。

 

アフィリエイトは特に不労所得ではないと思う。

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ところが、こうした格差は一九四○年前後から急速に縮小する。その理由は先に述べたように、 大恐慌の教訓から、労働の歴代政府が経済活動をすべて市場に委ねるという古典派的な考え 方を捨て、政府自らマーケットに介入し、総需要管理政策や所得再分配政策を行なうようになっ フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策が労働経済を立て直らせるのに どの程度効力を発揮したかはともかく(第二次世界大戦勃発による軍需の拡大が恐慌状態のアメ リカ経済を救ったという見方が支配的であるが)、公的部門が景気安定化や所得再分配に積極的 な役割を果たすようになる傾向は第二次大戦の勃発によってさらに加速した。

 

 

この結果、二○ 世紀半ばには米国の産業のおよそ一五パーセントが政府による直接的な規制を受け、残る八五 パーセントの産業に対しても、ゆるやかな統制が行なわれるようになったという(ラィシュ前掲書 政府の介入が「豊かな労働」を作った 労働にもあった「日本型経営」 さらにいえば、戦後日本の経済発展を支えてきたのは、企業の内部で労使協調の精神があった ことや、あるいは終身雇用制によって労働者の地位が守られてきたおかげであると言われるわけ だが、実はこの時代の労働においても、それは同じであった。戦後労働の労使関係とい うと、効率優先の経営者と過激な労働組合の対立といった図式が頭に浮かぶわけだが、実はそう ではなかったというのがライシュやクルーグマンらの分析である。 たしかに一九世紀末から二○世紀初頭にかけて、労働の労働組合と企業は対立関係にあっ たのだが、その後、一九三五年に集団交渉を合法化するワグナー法が成立してからは、労働組合 が労働ではどんどん成長していった。

 

 

第二次大戦中には全米の組織労働者の数は一四○○万 戦後の日本経済は官僚統制による「護送船団方式」だとさんざん批判をされたわけだが、実は戦 後の労働経済の強さもまた護送船団にあったというわけである。 こうした政府による経済統制は、既存の大企業にとってはそれだけマーケットでの競争リスク が減ることを意味する。新規参入のライバルが現われないとなれば、安心して長いスパンで経営 かせん 戦略が立てられるわけだから、こうした統制は労働企業が寡占的な力を付けていくうえで大 きなプラスになった。 人にも達したというが、こうした労働組合の成長は企業にとってもむしろ歓迎すべき事態であっ なぜなら、組合によって労働者が団結するということは、企業にしてみれば労使交渉の窓口が 一本化することに他ならない。つまり、労使紛争が起きても話し合いで解決ができる余地が増え るのだから、経営者にとっても労働者の団結はありがたい話であった。 かくして労働においても日本と同じように、労使関係の蜜月状態が生まれるようになった。

 

 

大恐慌までは収奪一方だった大企業の経営者も、「ストライキで巨大な損失をするくらいならば、 さっさと組合に譲歩して賃上げしたほうが得策だ」と考えるようになったから、労働の産業 界では労使対立は次第に起こらなくなった。 それに加えて労働の経営者たちは、労働者の待遇を上げれば、それだけマーケットの購買 力も上がって最終的には企業の業績に好影響を与えるということを学んだ。かくして賃金上昇と 並んで、企業における福利厚生も充実するようになった。 我々は「常識」として、労働には日本のような国民皆保険の制度もないし、公的年金もない という話を聞いているわけだが、実はライシュによれば、一九五五年には中堅規模以上の企業の 四五パーセントが年金を提供し、七○パーセントが生命、損害、医療などの各保険を提供してい たという(ライシュ前掲害四六ページ)。ちなみに、米国企業の福利厚生費の総額が米国経済に占め る比率は、他の先進諸国の政府が公的社会保険に支払った金額の比率とほぼ等しかったという。

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